[概要]
バブルが崩壊し10年後に書かれた、これまでの日本や今後の日本の在り方について考察した本。
いわゆる日本型の経済体制からアメリカ型に変化しようとする中で、市場主義ではない社会的思想について考えている。
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[感想]
この本の想定しているように現代の日本は格差が広がっている。
平均年収は変化しない一方で中央値は下方にずれていっているように感じる。
一億総中流の時代は終わったのかもしれない。
機会の平等や結果の平等を実現するために税金は増加し、政府はどんどん大きなものとなっている。
弱者の救済をいかにして行うのか、現在の政府のようにどんどんその役割を大きくすることで解決を図るのは得策ではないのかもしれない。
構造改革は長期に亘って行われる以上、今何か手を打っても時間がかかる可能性は大いにある。
個人的には今までリベラルや保守という言葉を明確にとらえずに理解していたと自覚した。
結局今の市場主義では社会主義よりかはいいのかもしれないがそれでも穴がある。
ドラッカーは金銭ではなく、やりがいのために働く知的生産者はNPOなどで働く場合があると言っていた。
金銭的な救済は政府が行うかもしてないが、このような実働的な動きは実際に能力がある人が行うしかない。
そういう意味では市場主義とリベラルの間を行く方法はこの道かもしれない。
この本では忙しさのせいで本当の豊かさを手に入れられていない日本人を貧しいと表現していたが、現在は市場主義が当時より進んでいるせいでおそらくより一層貧しくなっているだろう。
一人当たりGDPで見ても経済成長していなせいで、途上国並みの数字になっている。
またこの本の中でよく見かけたが、大学の構造改革についての話は気になった。
いわゆる象牙の塔になるのを防ぐためにTLOなどで市場に学内の技術を提供しようとしている。
またそれによる収入などを用いることで大学の経済的な自立を図ろうとしている。
最近では東大が債券を発行したことがニュースになっていた。
海外、特にアメリカでは市場主義が当たり前になっているせいで産学連携が進んでいる。
日本もこれに倣う形で進めてきていたが、今回のリベラルという視点でみるとどうなのであろうか。
純粋な利益追求やそのための研究と考えればそれはありかもしれないが、一方で研究への考え方が偏ってしまいそうな気もする。
給与体系などもこの構造改革で変われば、優秀な研究者を登用して成果を上げる可能性が上がるかもしれない。
おそらく現状はこれまでと同じ形式でまだ大学運営がされていることであろう。
保守側としては、権益構造からはずし進化と淘汰の波に揉ませることで効率化を追求するとともに、浮いた予算を福祉に回そうという事であろう。
リベラル的な保守思考はどこまで成功するのか。
研究は金ではないのかもしれないが、貢献を測る指標が多くない以上、経済価値で物事を見るのは仕方のない流れかもしれない。