グローバルスタンダードと日本の「ものさし」―責任の取り方に見る文化の異相
[概要]
欧米的なものの考え方と日本のものの考え方の違いを述べ、日本人がどういう心持で過ごすべきかを説いている本。
日本の戦後処理に関して、ここが悪かったという点も述べている。
グローバルスタンダードと日本の「ものさし」?責任の取り方に見る文化の異相 (カッパ・ブックス) 中古価格 |
[感想]
まず最初に目に留まったのは、日本の欧米の戦後処理の違いである。
日本は迷惑料として、当時統治していたアジア諸国に支払いをしたが、植民地支配していた欧米諸国は迷惑料ではなく援助として支払いをしている。
日本がこのように下手に出て支払いをした一方で欧米はあくまでも施しの一環としての支払いである。
もっとも日本は戦争に負けた身であるが、このスタンスの違いが日本では当たり前になっていることが問題である。
現在も朝鮮半島出身労働者問題など国際的な戦後問題で国政が揺さぶられているが、欧米のように施しであるという姿勢、もしくはその姿勢を当たり前に思えるような教育が日本人に施されていたら、いまだに遅れている様々な戦後処理はもう少し良い結果を出せていたのかもしれない。
陰謀論になるが、戦後教育はおそらくGHQ関係や日教組なども絡んでいるのであろう。
難しいことは専門家に任せるがこのあたりをもどかしく感じてしまう。
また方向性を持たない政治への指摘も面白かった。
政治家は採算度外視や捻じ曲げることでいくつものハコモノを作ってきた。
いい加減な事業評価により物が作られたために思うように機能していない公共施設も多くあるだろう。
現在では前よりもその指摘がされてきているかもしれないが、それでもまだ数多い。
例えば東京オリンピックの予算は建造でも予想より膨れている。
政治家にはお金を動かすことや建築物という目に見える成果は非常に重要なのかもしれない。
こういった人たちがまさしく、この本でいうところの責任をとるべき人たちなのだろう。
さらに職責の話も面白かった。
決定をする際に部下に相談するのであれば、その地位は部下に譲るべきである。
権限移譲も大事ではあるが、自分の責任での決定を部下への相談から考えるのであればその立場も危うい。
他には日本の裁判が前例をもとに判決を下すようになったいきさつも面白かった。
欧米に倣って手続き重視の裁判になると、大岡裁きは行われないらしい。
事実はわからないが興味深く感じた。