[概要]
元コンサルをやっていた著者が、コンサルで使うフレームワークに依存して経営や人事を考えることがいかに危険かを、その実体験をもとにつづった一冊。
フレームワークの批判ではなく、考える事が大事であることを伝えてくる。
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[感想]
今世の中にはフレームワークの本が出回っている。
単純に当てはめるだけで経営について考えることが出来るため、思考停止しながらついつい使いがちである。
表現をシンプル化することにより、理解した気になるし、相手に伝えるときにも説得力が増すように見えるからだ。
この本ではそういった考え方を否定していた。
著者が謝りたい理由として、そのようなフレームワークを妄信してしまい、コンサル先の企業をめちゃくちゃにしてしまった罪悪感からである。
基本的にフレームワークへの批判は1章に集約してあり、大事なことは作戦そのものではなく、作戦を考える行為自体にあるとしている。
つまり考えること自体をおろそかにしては、いかに優秀なコンサルを雇おうがいかに精緻なフレームワークを使おうが無駄であるとしている。
こういった分かってはいるもののついついやってしまう、考えることをさぼるという行為を実際の失敗例をもとに指摘してくれているのは面白かった。
またテイラーの科学的管理法を批判しているのが面白かった。
テイラーの科学的管理法はドラッカーがよく引き合いに出している内容である。
もっともこの著者は実際の管理法が結構ずさんであったという指摘をしているのみである。
シンプル化してその生産性を維持するのは重要な考え方の一つではあるが、あまりに度が過ぎると破綻してしまう。
知識労働者の生産性をコントロールすることが難しい以上、このようなものに頼りたいものの、厳しいだろう。
またフレームワーク至上主義に関して考えてしまうのは、子供の将来の夢をポートフォリオにしてしまおうという教育の動きである。
職業選択やや進学が今以上に画一的に作業化してしまう。
人生がゲーム化してしまう。
親や教師としてはその方が管理しやすいし、無難に生きていくにはそれでいいのかもしれないが、これこそ日本をダメにしていくような気がする。
著者も人事を画一化することの難しさをその失敗事例と共に挙げている。
本人と向き合うことでしか得られないようなこともあるだろうが、それを得る機会をますます失ってしまう。
そもそも成功の定義が無難さや、能力の均一化でしか定義できていない。
良くも悪くも尖った人物を産み出せなくなっていく気がする。
人生がゲーム化することにより、積極性も失われていく気がする。
モラトリアムや将来の夢という言葉のように、人生を段階に分けて先送りにするのが当たり前になってしまう。
やろうと思えば、完成度はともかく、10歳からでもプログラムでアプリ作成などは出来るだろう。
GAFAを作った人物などはそういった画一化を気にせず、若くしてアプリ開発などを行っていたはずである。
定型化することで、そういった尖りはなくなっていくのかもしれない。
あるいは周りが何もしない中でそうやって尖れる人物こそが起業などで成功するのかもしれない。
ただ芽を育むはずが、芽を摘みかねないということは気にする必要があると思う。
何かの機会を選ぶという事は、同時に何かの機会を捨てていることになる。
無難さを選ぶと同時に捨てるものはなんだろうか。
安易な考えや管理法が人間性までも社会主義化してしまうかもしれない。
結局ビジネスも人事も常にその動向を考えるのが大事であるという事だ。
特に新技術の動向ならなおさらのことであろう。
ドラッカーが技術のモニタリングが重要であるというように、経営も人事もきちんとモニタリングして考えてあげなければならない。
誠意を示さなければよい結果はやってこない。